2022-08-24
この2ヶ月間、仕事で大きなプロジェクトをかなり頑張りました。昨日11時くらいに終了。大きな安心感とゆとりが生まれました。今は、もう少し自由な時間があるような気がしています。また、私に迫っているものは何もないと感じています。私が「すべき」ことは何もないのです。まあ、あるんですけどね。いつもそうです。でも、そのプレッシャーは、大きなプロジェクトとは違うんです。
私は自分の記憶のいくつかを見直している。特に、過去に一度や二度見直したことのある思い出の数々を確認していた。復習を始めると、自分の身体に感情的な反応が起きているのがわかります。これは、その記憶や感情のエピソードと、まだ十分に向き合えてない証拠だと思っています。一つひとつの事例がタマネギのようだ。表皮を剥ぐことができる。しかし、しばらく放置してまた戻ってくると、別の層を発見することができるのです。
2年前、この作業をしていたとき、思い出そうとしても思い出せないことがたくさんありました。空白の時間がたくさんありました。自分の中にたくさんあるような気がしていたのに、いざ見ようとすると「パッ!」と消えてしまう。消えてしまったんです。でも、だんだん、オンデマンドで記憶が増えていくんです。今、その記憶は、私の人生という海に浮かぶ島のように際立っています。しかし、あるエピソードを再訪するたびに、その島は少しずつ大きくなっているような気がします。時には、島と島がつながっているように見えることもあります。
記憶にアクセスする技術を高めることが問題なのだろうか。人生における他の多くの努力と同じように、練習すれば完璧になる。今、私は一日おきくらいに、何年も何年も封印していた感覚に出会っているような気がします。新しい発見をするように、あるいは屋根裏部屋から古い箱を開けてみるように。発見したときは、すぐにそれとわかるのですが、発見する前は、そのことに気づいていませんでした。