2023-03-04
このような人はとても特別です。彼らは才能を持っています。それは、プレッシャーがかかったときの優しさのようなものですが、その人はプレッシャーを感じないのです。自分を守ろうとする自己中心的な考えもない。彼らには操縦する余地、スペースがあるのです。
私は、この考えを日本人から得たとは言えません。しかし、日本語を学ぶうちに、この考えを確認し、より明確にすることができたと言えるでしょう。というのも、日本語には、英語にはない単語があるからです。その言葉は「余裕」で、「よゆう」と発音します。これは、「スペースがある」「遊びがある」「操縦する余地がある」という意味です。余分なものを持つという意味です。余分なものでなく、余分なスペースがあるということです。それは物理的なものであることもあれば、抽象的なものであることもあります。部屋の中の実際のスペースであったり、精神的なスペースであったり、問題からの距離であったりします。
このような人は、自信に満ち溢れ、独り立ちしており、他人から認められる必要がないため、他人の機嫌を取ろうと焦ることもありません。その代わり、自己の重要性が課すフィルターを通さずに、状況をはっきりと見て、ありのままに受け止めることができます。この空間が、偏見をなくし、「必要性」を感じさせないようにするのです。他人が自分の欲望や依存を表現するとき、彼らは自分の必要性を露呈していることになりますが、それは結局のところ単なる弱点に過ぎないのです。これらのニーズは、私たちの愛着によって、無意識のうちにではありますが、自分で作り出し、自分で課しているものです。私たちはほとんどそれを認めないし、認識することさえできませんが、これらのニーズは私たちの苦しみの原因となっています。
私たちがこのような人間になれるのは、執着心をほとんど取り除いた後だと思います。私たちは物事や状況に執着すると、それを手に入れようとしたり、それを維持しようとしたり、その状況を維持しようとしたりします。これは通常、ある種の力を意味しますが、あからさまな力でなく、秘密の力である場合もあります。
人間関係においても、ある状況を手に入れたい、維持したいという欲求は、通常、私たちを強制的に、いや、むしろ私たちを操作的にさせるのです。同時に、私たちは、同じように物や状況に執着する他の人々と一緒に世界に住んでいて、彼らもまた操作的であるため、私たちの執着は、彼らの操作に祈るようなものです。この空間を持つ人は、執着が少ないので、操られにくく、他人の操りにも負けにくい。