2023-09-03
もう一度、掃き出し呼吸についてお話しします。掃き出し呼吸は、自分の人生を見直し、人生をきれいにするために使っています。ゴミを捨てたり、内面を整理整頓したりすることで、身だしなみを整え、すっきりとした自分を保つようなものです。頭をゆっくりと前後に掃き、掃くたびに息を吸って吐いて、自分の人生を見直すことで、私はそれらの記憶をすべて掃除し、ゴミや嫌な感情を濾過し、執着をすべて手放して、身軽な切り離された人間になることができるのです。
この練習を始めた最初の1、2年は、砂漠を横断するようなものでした。物事を思い出そうとしても、思い出せないのです。セッションの間中、心が彷徨い、記憶を呼び覚ますワークができなかったのです。うまく思い出すことが水だとしたら、私は砂漠にいるような気がしました。例えるなら、私は時々オアシスに来ていました。オアシスでは、記憶の中の執着を一掃する建設的なワークがたくさんできました。しかし、その後はまた砂漠に戻り、あまり思い出せない状態が長く続きました。
当然、つらい時期でした。オアシスにいることは、ある意味で良いことではありませんでした。トラウマとなるような記憶に遭遇することが多く、辛く、手放すのが難しかったのです。でも、それぞれの出来事の後、1日か2日経つと、始める前よりもかなり気分が良くなっていました。それが、つらい時期を乗り越える原動力になっていました。特に辛かった記憶は、むしろ毒が体を通って戻ってくるようなものでした。気分が悪くなり、そのあと数時間から1日くらいは機嫌が悪かったのですが、それが過ぎると、そのワークをする前よりも気分がよくなりました。
それから呼吸に変化がありました。記憶が特に強烈なときや、集中力が特に高まっているときに、呼吸の感覚が変わり始めていることに気づきました。私が寝息と呼んでいるこの活動で最も難しいのは、集中力を必要とすることです。自分が取り組みたいことの要点ではない、他の周辺的な出来事に心を奪われてしまうのはとても簡単なことです。一旦迷い始めると、その心は膨大な数の出来事の上を浅く迷い、飛ばし続けることになりがちです。しかし、集中力を高めれば、一つの出来事に集中し続けることができ、呼吸の質が変われば、その出来事に対する執着が解放された合図と受け取ることができます。
自分の感情に対する感受性が高まりました。今では自分の感情にとても気づいています。過去の人々や出来事に対する自分の感情にも、より強く気づくようになりました。二度目にその感情を経験したとき、私はそれを自分のものだと認識しますが、最初の経験で感じていたにもかかわらず、一度目はそれに気づかなかったこともわかります。そうすることで、日々の生活の中で自分の感情に気づくことができるようになりました。そして、過去に感じた感情に、より高い能力で磨きをかけることができるようになりました。
だから、それぞれの出来事や人に対して、自分の気持ちに入り込むことができるのです。そして、その感情を経験するにつれて、その感情の源に気づき始めています。以前、優越感や劣等感について書きました。これらは、過去の人や出来事に対する私の感情の源です。自分の感情の源を理解することは、その感情を手放せるようになるために大きなメリットがあります。また、過去の他の状況や場所、出来事の中にある感情に気づくことができるのも、大きな利点です。だから私はより敏感になり、多くの感情や執着を手放すことができるようになりました。
砂漠を横断していたとき、瞑想ではあまり生産的でないセッションがたくさんありました。瞑想に行くたびに結果が出るわけではありませんでした。時々結果が出るので、それで十分でした。でも今は、どのセッションでも結果が出ます。問題は、瞑想の回数が多すぎて、すぐに集中力が切れてしまうことです。だから今は、これまで以上に集中力を高めなければなりません。それぞれの出来事、人、状況にレーザーのように集中しなければなりません。より困難になってきていますが、同時にはるかに豊かでやりがいがあります。毎回のセッションが楽しみです。しかし皮肉なことに、私のビジネスは週を追うごとに忙しくなっているため、今は瞑想をする十分な時間がありません。