2023-08-06
優越感についてはすでに書いた。この優越感の鏡像について話すのがふさわしいと思う。それは私の劣等感である。良くも悪くも、私はキャリアの最初に公立学校の教師を選んだ。教えること自体は非常に得意だったと思うが、同時に学級経営は非常に苦手だったと思う。
残念なことに、中学生レベルでは教室のコントロールが授業の8割を占めるかもしれない。子どもたちは成長し、もう子どもではないが大人でもなく、精神的にも身体的にも大きな変化を経験している。このような変化に適応するのが難しく、しばしば制御不能に陥る。喜んだり悲しんだり、判断力が低下する。当然、彼らは悪い人間ではないが、この年齢では教室のコントロールが非常に重要になる。そして私は、教室のコントロールが苦手だった。
その理由は、私の人生の初期における深い経験に起因していると思う。私はいつも同級生より1歳年下でした。その結果、私は彼らよりも感情的に成熟しておらず、肉体的にも成熟していなかったので、劣等感を感じ、仲間や社会生活をコントロールできないように感じていました。要するに、人をコントロールできる気がしなかったのだ。ここでコントロールという言葉を使うのは簡単だ。適切ではない。より良い言葉は、影響力、あるいはコンプライアンスを得ることだろう。私は友人や仲間に対してほとんど影響力を持っていなかった。コンプライアンスは私の手に余るものだった。
だから当然、教師になったとき、子どもたちをコントロールしたり、自分の意志を押し通したりする自信はなかった。演技の勉強をしよう」と言っても、子どもたちは「いやだ」と言うし、子どもの性質上、おしゃべりしたり、マンガを読んだりと、別のことをしていた。そのような状況では、私は子どもたちをそのトピックに集中させることができないと感じた。もちろん、実験のような面白い行動や変わった行動で彼らの注意を引くこともあったが、彼らは何が起こるか見たがっていた。しかし、これはエンターテイメントのように感じられ、私の創造性には限界があった。年間を通して1日中行っている45分も50分も、パフォーマンスをして彼らを驚かせることはできなかった。
だから私は劣等感を感じていた。カナダで中学校の教師をしていたとき、ひどく無能だと感じた恐ろしい思い出がある。今振り返ってみると、実は自分が思っていたほど悪くはなかった。そういう問題ではない。私は日本で教えることでかなり成功した。でも、やはりポイントはそこではない。重要なのは、その時その状況で私がどう感じたかということなのだ。
そしてその無能感は、どこへ行くにも持ち歩く暗雲のようなものだった。暗い雲をポケットに入れ、多くの場面で微笑み、幸せそうに見えたが、雲は私が望んでもいないのによく出てきた。その結果のひとつが、月曜日の朝、職場に向かうときの重い気持ちだった。出勤するために坂道を登ってドアから電車まで自分を押し出すのは、意志の力をすべて使うことだった。始めてから4時間くらいで大丈夫になったが、月曜の感覚はよくわかる。
劣等感は今取り組んでいることだ。優越感をそぎ落としているのと同じように、それをそぎ落としているんだ。掃き出し呼吸は、長年にわたる練習の積み重ねの結果、この2つの感情に多大な影響を与えている。だからこそ、今こうして話せるのだ。しかし、この岩の下から這い上がるには長い時間がかかった。結局のところ、技術や知識、知性は、感情的知性との対比ではほとんど意味をなさない。