2023-07-23
今日、私はニュースを見ていた。というより、ニュースを読んでいた。30年か40年前のある有名人について、あまり面白くない記事を見つけた。長い間、その人について聞いたことも読んだこともなかったので、興味本位で記事を読み始めた。その人物は有名で、かなり裕福だったようだ。
記事の内容は、彼が娘の一人ほどの年齢の女性と結婚したというものだ。記事には写真が何枚もついていて、私は4行ほど目を通しただけで十分だった。でも、写真を見たかった。とても素敵なシチュエーションでの写真を見た。派手な服を着ていた。パーティーでドラムを叩いている。彼は笑っていた。若い婚約者が笑顔で彼にしがみついていた。プールや豪華な環境もあった。しかし、私が最初に思ったのは、すべてが空っぽだということだった。私は彼を見下ろしていたわけでも、彼を見ていたわけでもない。人は不幸であれば、彼のような笑みを浮かべることはないのだ。
でも、私はそういう環境を見て、それはたぶん私を幸せにはしてくれないと思った。むしろ、幸せであるべきだと感じるようになると思った。私たちはある程度、あれがあれば幸せになれるはずだと思い込まされている。執着を下げるにつれて、こうした条件づけられた思考や感情のいくつかが私から離れていく。
その一方で、私はここしばらくの間、かつてないほど幸せを感じている。それは、環境とは関係ない、控えめで深い幸せのようなものだ。リッチでラグジュアリーで贅沢な環境では幸せになれないと思っていたのが、そういう気持ちになった結果だ。環境とは関係ない、内面からの幸せのようなものを感じ始めている。
私が知っている唯一の方法は、執着を捨てることだ。そして、執着を捨てる唯一の方法は、眠る呼吸だ。自分の経験をすべて思い出し、執着を取り除く呼吸は、私の人生に変容をもたらしている。別のブログで書いたと思うけど、執着が強ければ強いほど、人とのつながりは希薄になる。執着が少ないほど、よりつながっている。
何に繋がっているのか分からないが、幸福感が増しているのは確かだ。浅い人生の意味が分かってきた。そして深い人生の神秘も理解し始めている。私の人生には、私の幸せの深さや源を示すものは何もない。目に見えないものだ。